Thursday, April 8, 2010

作文*2_その 時に 帰りたい

小さい時、父が よく 出張したから、あまり家に いませんでした。いつも 母は じてんしゃで わたしを 学校に つれて 行って くれました。毎朝七時に、母は わたしを 学校に 送って、はたらきに 行きました。よる六時に 学校が 終わってから、わたしは ゲートを出ました。母は もう そこに 待って いて くれました。毎日、あめでも、ゆきでも、母が じてんしゃに のって いる時、わたしは 後ろの せきに すわって いて、学校に かよって いました。

母は いしゃだったから、よく ざんぎょうが ありました。家に いつも わたしと 母が 二人 だけ いたから、母が ざんぎょうしなければならない時、私は 学校が 終わって から、母が はたらいて いた びょういんへ 行きました。しゅくだいを したり、びょういんの 中に ある こうえんで あそんだり、母を 待ちました。帰る とき、もう おそかった です。まちには 人や くるまを あまり 見えませんでした。がいとう(streetlights)の 暗い ひかり(light)の 中に、母は じてんしゃで わたしを つれて、静かな道を 行きました。母も私も 何も 言いませんでした。聞こえるのは しゃりん(wheel)が まわって いる 音 だけ でした。かぜ(wind)が 涼しくて、ゆっくり かおを ふきました。わたしは じてんしゃの うしろに すわって、時々 母の シャツ から、 ソープのかるくて、いい におい(scent)を かぐ(smell) ことが ありました。空には 月が あまり 見えませんでした。よるの 黒い 空は 朝の より 広かったです。人が 少ない 道も 大きくなりました。母と 母のうしろに すわって いる 私は そんなに 広い 空と 道と より きっと 小さかったです。でも、私は ぜんぜん こわくなかったです。母の 背が よわかった ですが、わたしの 目の 中には いちばん あんしんで、あたたかい所 でした。

それは 十年前 のことでした。でも、思い出したら、じてんしゃの うしろも 母のシャツの いい ソープの においも はっきりと 覚えて います。今、まちは 大きく かえました。ちかてつや べんりな バスが あって、じてんしゃの 道は どんどん 狭くなりました。母も くるまを 買って、じてんしゃに のりません。よく かんがえたら、母は もう 50さいぐらい です、わたしも 大きくなりました。じてんしゃで わたしを どこか つれで 行きたくても、できません。それに、今 家から 遠い所で 勉強しているので、ぜったい(absolutely) むり(impossible)です。さびしい時、電話を して、母のこえを 聞いたり、メールを 書いたり する ことが できます。いつも それは じゅうぶん(enough)だと 思いますが、よる 寝る時と 図書館へ 行く 時と コンビーニで はらう 時と この 作文を 書いて いる 時、つい(unconsciously) 母が じてんしゃに のって、小さな 私が うしろに すわって いるのを 思い出します。やはり(still) わすれることが できません。

その 時に 帰りたい。

1 comment:

  1. ヒョーさん、スピーチでのゆうしょう(1st place)
    おめでとうございます!とってもとっても
    あたたかいお話で、私は感動(かんどう=touched)
    してしまいました(;ー;)!!

    これからもがんばってください☆

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